• (写真1)明治末・日本橋寄り合い

    (写真1)明治末・日本橋寄り合い

    取材協力/昭和からの贈りもの(http://ohoshisama.info/syowakarano) 

    参考資料/日本写真史年表  1778-1975.9 (日本写真協会編・講談社刊)、日本銀行ホームページ(https://www.boj.or.jp)

     

     

    幕末から現代に続く〜肖像写真・ 写真館の 歴史

     

    デジタルカメラやカメラ付き携帯電話の出現で、すっかり身近な存在となった写真。人生の節目に記念写真を撮るようになったことから、写真館の歴史が始まった。欧米から写真技術が入ってきた幕末から現代までの約150年の間に大きく変わった、写真と日本人の関係性について振り返ってみよう。

     

     

    日本第1号の写真館が長崎の中島に開店

     

     1862年、日本初の写真館がほぼ同時期に横浜と長崎で誕生した。そのうちのひとつ、上野撮影所を開業した上野彦馬は、長崎で蘭学者の次男として生まれ、スイス人カメラマン、ピエール・ロシエから写真撮影の基礎的な技術を学んだ。上野は先に日本に入っていたダゲレオタイプのカメラではなく、最新式の湿式写真技術を独学で学び、坂本龍馬や高杉晋作らの肖像写真を多く撮影した。

    上野彦馬肖像

    上野彦馬肖像

    ダゲレオタイプと湿式写真の大きな違いは、露出時間の差にある。ダゲレオタイプは約2分。この間、人物が動いてしまうと像が乱れるため、写真に写る側は瞬きすらできなかった。これに対し、上野が採用した湿式写真の露出時間は約20〜30秒。この撮影手法を身に付けたことで、上野は幕末の志士たちから西南戦争の戦跡まで幅広い分野の写真を後世に残し、日本写真史にとって重要な人物となったのだった。

     

    紋付羽織にブーツの斬新なファッションに身を包んだ坂本龍馬の肖像写真はあまりにも有名である。龍馬のような新しもの好きには、ハイカラな最新技術として歓迎された写真だが、一般庶民にとっては「魂が抜き取られ、寿命が縮まる」という噂が出るほどおっかない存在だったようだ。さらに当時の写真撮影料は1枚、金1⁄2両(現在の貨幣価値でおよそ6〜8万円)とされていることから、あくまで限られた身分の者たちの間でのみ広まったと推測される。龍馬は上野写真館で5回も写真撮影をしたとの記録が残っており、その回数は徳川将軍慶喜に匹敵するほどだったとか。さらに焼き増しに1分(約1万円)もする自分の写真を、名刺代わりに配っていたのだから龍馬の写真好きも相当なものだっただろう。

     

     

     

     

    生活に溶け込んでいくカメラ・写真館

     

    (写真2)明治42年・跡見学校

    (写真2)明治42年・跡見学校

    (写真1)は東京、日本橋の小舟町にあった「斉藤弁之助商店」の寄り合い時に撮影されたものだ。番頭だった男性が持っていたアルバムには、商談の出張先や接待で行った料亭などで撮られた写真が数多く残っているという。この写真では洋装の1人を除き全員紋付袴姿なので、綿糸関係の集まりだったのではないか、といわれている。明治時代に入ると全国各地に写真館ができていたが、相変わらず「魂が抜かれる」という迷信も根強く、1枚3〜7円(現在の1万〜3万円相当)と高額だったため、あくまで特別なイベントだったのだろう。

     

    (写真2)は明治42年に撮影された跡見学校(現文京区小石川)の女学生たちの写真。あえて表門の外から写した構図がおしゃれな1枚だ。先生とともに18人の生徒が写っており、みな同じような髷姿をしている。実は「跡見髷」と呼ばれる学校独自のヘアスタイルで、当時の流行がこんなところに垣間見えるところが面白い。跡見学校近くに写真館があり、女学生の間で出張写真撮影が大流行していたのだから、今も昔も女性の写真好きは変わらないようだ。

     

    (写真3)は大正6年に栃木県鹿沼市で撮られた結婚記念の写真である。結納後に、写真館で撮影したと記録が残っている。大正時代になるとカメラ部品の国産化が徐々に進み、写真1枚の撮影料は60銭〜1円50銭(現6千〜1万5千円相当)と、ようやく庶民にも手が届く金額となった。誕生祝い(写真4)や、浅草や銀座を闊歩していたカンカン帽、スラックスに革靴でキメたモダンボーイたちの姿まで、シチュエーションにも広がりが出てきた(写真5)。入学や卒業の節目(写真6)や初めての遠足・旅行の思い出(写真7)など、家族の記録とともに写真は撮られてきた。時代の空気、緊張してはにかんだ子供たちの呼吸まで聞こえそうなほど、生き生きとした表情をくっきりと写真は残し伝えてくれる。その初めの舞台が写真館であり、現代に続く「日本人のアルバム」に繋がっていくのだ。

     

    * (左)上から(写真3)

     

     

     

     

     

     

     

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